http://www.tensenn.com/tensenbook.html  天仙液の注文

天仙液 に関する 書籍 一覧

天仙液効能効果服用方法安全性などは、薬事法の関係で詳しい説明はいたしません。
著名人の声  : 竹村健一氏  生島ヒロシ氏 邱永漢氏  関根進氏 
PQQの外観
PQQ5
免疫力強化
康楽液の箱と中身
康楽液(生霊液)

私の自己紹介
江沢民前主席と王振国先生
江沢民前主席と王振国
青春時代
王振国青春時代

天仙液(強効型:最新製品)
参威口服液
(旧名:天仙栄養液)
復方天仙膠嚢
旧名1号
骨炎霊片
旧名3号
鶴蟾片
旧名5号
益肝顆粒
旧名6号
宮頚癌片
旧名7号
活力源口服液
旧名:
驚異の漢方薬、ガンと闘う人のために。邱永漢 中国4000年シリーズ 著者:天仙液の王振国1
ガン患者よドクハラと闘おう 著者:天仙液推薦の関根進2

賢い患者学ガンは食べて治す 著者:天仙液推薦の関根進3

しなやかな玄米菜食 著者:天仙液推薦の関根進4


ガンは宿命、癒しは運命 著者:関根進5

母はボケ、俺は癌 著者:関根進6

癌に克つ抗がん漢方薬の驚異 著者:王振国7
ガン治療の壁を打ち破ったのは、やっぱり漢方だった 著者:阿部博幸8
ガンが消えた痛みも取れた.命が永らえた人もいる 著者:柿添建二

ガンが治った!抗ガン漢方の威力著者:王振国11

がん治療革命、天仙液のすべて著者:王振国/橋爪孝次12

がん21世紀、驚異の奇跡(上巻) 著者:王振国13

がん21世紀、驚異の奇跡(下巻) 著者:王振国14

ガン戦争100人が勝利宣言:癌戦争シリーズ 著者:王振国15
癌100人の奮闘記 著者:王振国-916

癌100人の奮闘記 著者:王振国-5
癌100人の奮闘記 著者:王振国-6
18  生還
癌100人の奮闘記 著者:王振国-7
19薬草のモーツアルト:
王振国の世界

20 成功:王振国

21 雪飄天声:王振国

以上は、中国国内で発行されている 王振国先生の書籍

記事1


コンピューター分析室

厳しい米国GMP規格の認可を受けた科学技術の粋を結集した製造工場

最新の高度な生薬抽出設備

天仙液(活力源口服液)の生産工場


「もしもしQさん」の関根進さんのページ

元「週刊ポスト」の編集長:関根進さんの食道癌体験談: その1

元「週刊ポスト」の編集長:関根進さんの食道癌体験談: その2


今の僕は 毎日が、
ありがとうで
いっぱいです。

明日からも
新しい ありがとうが
きっと
生まれるでしょう


「王振國先生の感動の物語」

王振國先生は、1954年、吉林省通化市の郊外にある山間の公益という村に、6人兄妹の次男として生まれた。
農業を営む彼の家は貧しく、おまけに現金収入が殆ど無く、生活を維持するのがやっとという状態。
12羽のニワトリが生む卵が唯一の現金収入の道だった。しかし、当時は、東北地方全体が貧しかったと云っていい。
その上、大規模な冷害が度々発生したので、彼らは、木の皮を食べて飢えを忍いだこともあったと云う。

「私が7歳になって小学校に入ろうかという時、母が、こう言ったんです。
『実は、おまえを学校に行かせるだけの お金が家には無いんだよ...』。

そこで、自分で採った薬草を売り、学校に行く金を作ろうと考えたのです。
私は、体が大きかったし、大人に混じって薬草を採りに、山に行ったりもしていて、
5、6種類の薬草なら見分けられるようになっていました。
長白山の麓に生まれたからこそ得られた幸運だと思いましたよ」

 やがて彼は、大人も顔負けするほどの薬草採りの名人になる。
中学に入る頃には、100種類以上の薬草を見分けられるようになり、
少しでも高値が付く薬草を採り、それを半日かけて通化市迄、売りに行くようになっていた。
それで家計を助け、彼自身が中学に行く費用も稼ぎ出したのだ。

 1969年、中学を卒業した振國は、人民政府の職員となり、村の養豚場で働くようになった。
しかし、そうなってからも、彼は、休みになると薬草を採りに山へ行っていた。
ただ、今度は 売る為ではなく、すでに興味を持った薬草の勉強に使うためだった。

「初めて手にした給料で、『東北中薬草』という専門書を買ったんですよ。
その本には、この地方で採れる薬草が図解されていて、それをどのように配合すると
どんな病気に効果が、有るかが書かれていたんです。

私は無理とは分かっていても、いつかは 医者になりたいと思っていました。
だから、本を頼りに薬草を集め、調合を繰り返していました。


 そんな振國の独学の成果が問われる時が、ある日やって来た。
村に気管支を患い苦しんでいる老人がいたので、
彼は、自分が調合した薬を頼んで飲んでもらうことにしたのだ。
すると、その効果は、2、3日して現れ、1カ月もすると、老人は、畑仕事に出られるほどになった。

更に、同じ頃、村で下痢が流行ったが、彼が調合し、煎じた薬で殆どの症状が緩和した。
村人たちは喜び、彼の薬草に関する知識を認めるようになった。
それによって、仕事の方も養豚担当から獣医へと昇格した振國は、更に鍼灸の勉強も始めるようになった。

彼が16歳の時のことだ。
公益村に、薬草に詳しい、鍼灸もできる少年がいるらしい.....。

 そんな ウワサが村人を通じて広がり、それが、人民公社 衛生学院の院長の耳に迄届いて、
振國を見習い扱いで、呼び寄せてくれた。

しかも、その直後に人民政府が、地方都市に、医師を養成する学校を作る方針を出し、
通化市にも「吉林省通化市衛生学校」が設立されることになり、
彼は、卒業後1年間は、出身地で 医師として働くことを条件に、ここに入学を許された。

私は幸運でした。 ここで中医学と西洋医学を体系的に学ぶことができたのです。

そして、卒業後に、通化市の「六道溝衛生学院」というところで実習生として働いていた時に、
その後、私の進むべき道を決定づけるような出来事が起きたのです。

 それは ある日、ガン病棟で起きました。
病室から飛び出してきた12歳くらいの娘が私の足元に ひざまずき、
涙をいっぱいためながらこう懇願したのです。

『先生、私のお母さんを助けてください!』

 見れば、病室の母親らしき女性は、末期の肝臓癌患者で、お腹が妊婦のように膨れ上がっていました
一緒にいた先生の お話では、余命は、あと十数日とのことでした。痛みに苦しむ母の姿に耐えかねた娘は、
まだ医者ともいえないような私に、助けを求めたのです。

 1週間後に母親は、亡くなりました。
私は、医者なのに患者を助けてあげることもできないんだと、非常に悔しい思いをしました。

そして、中国には、こんなに薬草が、いっぱいあるのに、
ガンに効く薬草は、一つも無いのかと、落胆もしました。
 この時 私は、生涯、ガンに効く漢方薬を研究しようと心に誓ったのです。

当時の私は、西洋医学、ことに ガンの治療に関しては、ごく浅い知識しかありませんでしたが、
これほど進んだ西洋医学でも、ガンは治せないという現実に打ちのめされたのです。

だからこそ、中医学に、ガン克服の道が有るのではないかと考えたのです。
ガンという病の恐ろしさ、難しさを知らなかった為の、無謀な決意と言えなくもありませんが...」

 重大な決意を胸に秘めた振國は、その後、吉林省の隣、遼寧省海城市の人民解放軍の衛生員となった。

それは、中国に古くから伝わる、漢方によるガン治療のための薬草や処方、
治療法などを広く集めるのに、格好の職場だったからだ。

軍隊には、立派な病院や専門書が整った図書館があり、また中国各地から集まってくる兵士たちから
地方ごとの ガン治療の為の薬草や処方、民間療法などを聞きとることができたのだ。

「衛生員をしていた4年間で、薬草や処方だけでも 800以上が集まりました。
私は、これらを整理し分類していけば、ガン治療薬を作れるようになる日も近いと密かに,小躍りしていたものです。

 しかし、それは、余りにも甘い考えでした。
薬草の多くは、すでに何らかの形で紹介されたものでしたし、
処方も抗ガン効果が有るとされる生薬に、いくつかの生薬を組み合わせたもので、
参考にできるくらいのものでしかなかったのです」

 だが、その後 通化市の公務員となり、製薬工場の工場長、市政府の秘書と仕事は変わっても、
振國の薬草と処方收集は、途絶えることがなかった。

そして2、3年後には、
中国各地を訪ね歩いて集めた民間療法秘伝といわれるような処方1200種にも達していた。

彼は、今度は その処方に使われている生薬を分類し、それぞれの長所や欠点を調べ、整理することを始めた。
そうすることによって、より効果的な配合による処方を見つけ、ガン治療のための新しい漢方薬を生み出そうと考えたのだ。

その為に彼が基本にしたのは、体の三大構成要素である『気・血・津液(水分)』の流れを良くすることだった。

漢方では、これらの流れが滞ると、さまざまな症状が生じ、弱まって病気にかかり、治らなくなってしまうとされる。
だから、それを改善する生薬を選び出すことが、ガン治療のために大切だと考えたのだ。

「私は先ず、抗ガン作用を持つ 60種類の生薬に、的を絞り込みました。
そして、マウスを使った実験などで、更に半分に選別し、いよいよ処方作りに取り掛かったのです」

 振國は、公務員を休職し、研究に没頭する為、自宅に研究所を開いた。

その名は、現在と同じ 『通化長白山薬物研究所』

しかし、それは振國の家の一角に設けられたごく小さいなスペースで、実験用マウスの飼育箱がその大半を占めていた。
生薬を加工するための道具は借り物だったし、冷蔵庫は、家の外に地中深く掘った穴を代用したものだった。

 そして1983年、配合の試験と実験を2年間ほど繰り返した結果、最初の試作薬が完成した。

1300粒のカプセルに、振國は『天仙丸』と命名した。

初期の主要成分であった天花粉(抗腫瘍、抗菌作用)と
威霊仙(鎮痛、抗腫瘍作用)という二つの生薬の名をとったのだ。

彼は、喜びに震えたが、本当に つらい時期は、実は、この時始まったのだ。

「試作薬が、できてからも、マウスによる実験や毒性試験を重ねました。
又、腫瘍実験をして改良を続け、これならガンに対して効果があるというところ迄 近づけて行きました。

そうやって、これならほぼ間違いないという薬ができた段階で、
今度は、近郊にある いくつかの大病院で試用して貰おうとしたのです。

しかし、結果は、どの病院でも門前払いでした。

どこも 西洋医学が中心で、ガンに効く漢方薬など ハナから信じて貰えなかったのです」

 結局、臨床試験をしなければいけない段階になって、その道を閉ざされてしまったのだ。

それから、彼は あちこちで、ガン患者を捜し出しては、『天仙丸』を試してみて貰えないかと頼んで歩いた。
しかし、見ず知らずの男に、いきなり ガンに効く漢方薬を試せと言われても、そう簡単に信用して貰える訳がない。

現実の厳しさに直面して、振國は、肩を落とした。しかも、長年の研究で私財を使い果たし、
彼のポケットには、僅かばかりの小銭が残っているだけだった。

でも、私は幸運でした。そんな私の ウワサを聞きつけて、胃ガンの末期症状と診断されて
医者にも見放されてしまった老人が訪ねて来てくれたのです。 私は彼に 一瓶の『天仙丸』を手渡しました。

 2カ月後、老人から カルテが同封された手紙が届きました。そこには、胃の腫瘍が消滅し、
近くを散歩するまで快復したという事実が記されていたのです」

 この老人の話が広まり、やがて同様の患者が 振國の下へ次々と訪れるようになった。
そして、多くの人が ガンの諸症状が軽くなったり、末期がんの患者が 安らかな死を迎えられたと伝えてくれた。

やがて、そんな『天仙丸』の効果を目の当りにした通化市役所の書記長が、
権威ある研究機関である「天津医薬科学研究所」臨床試験を行えるように手配してくれたのだ。

そして半年後、研究所から届いた結果は
『天仙丸』には、これまでのガン治療薬には 見られない特有の効果がある」と云うものだった。

それは、振國が 研究を始めて、実に11年の歳月を経てのことだった。

「この後、更なる臨床試験を経て、1986年、『天仙丸』『国家的レベルで研究する価値がある』と評価され、
中国政府の「国家的研究プロジェクト」の一項目として取り上げられたのです。

そして、中国中医研究所など各地の 25の医療機関、大学病院で、臨床試験が行われました。

 こうして、1986年に 政府機関の『通化長白山抗癌薬物研究所』ができ、彼は主任研究員となった。
そして、翌年には 製薬化した『天仙丸』の実績が高く評価され、個人の研究所とすることを認められたのだ。

また、1988年には、ガンの研究では世界一と云われている「アメリカ国立ガンセンター」での
2年間にわたる、ロバート・シューメイカー博士らによる2000人の臨床試験の結果、
『10種類のガン、48種類のガン細胞に対する有効率は80.4%』と報告され、
中国政府からは、初の抗ガン治療薬として認可されたのです」

「私が、そこで始めたのは、今度は『天仙丸』の液体化でした。
胃腸での消化、吸収の早さと飲み易さでは、内服液が最良だったからです。

また、それに伴う成分の質的見直しもするなどして、液体化の研究を推し進めました。
結局、このために 3年の年月が、かかってしまいましたが、
91年に、最初の液体化された ガン治療薬『中国1号天仙液』が完成しました。

この天仙液は、その後 行った臨床試験の結果、『天仙丸』よりも高い評価を受けるものとなり、
以後さらなる研究開発を進めて、'95年には『中国1号天仙液改良型』が、
さらに'99年には『中国1号天仙液強効型』が完成したのです」

 こうして、振國の心血を注いだ ガン治療のための漢方薬『天仙液』は 誕生した。
そして、私たちの目の前では、現在20カ国で 100万人以上の人々が
摂取しているという『天仙液』が 次々とアンプルに詰められて行く。

その原料となるのは、殆どが 長白山周辺で採取された生薬の新鮮な エキスだ。
振國は、その作業を見つめながら、最後に こう語った。

「長白山は、古くから『薬草の宝庫』とか『漢方の故郷』と言われて来ました。
私は、そんな素晴らしい土地に生まれ、漢方薬の研究をして来られたのです。

そして、この上質の薬草が有ったからこそ、『天仙液』を開発できたのだと思っています。
現在も、今後も、私の研究テーマは、一貫して『究極の抗ガン漢方薬』を作ると云うことです。

その為に、より抗ガン効果が高く 免疫力を高める生薬を見つけ出すことに力を注いで行くつもりです。
薬草の研究こそが、私に課せられた運命だと思っていますから」

※ 主婦と生活社「漢方って、こんなに すごい」より抜粋


「王振國先生の略歴」

1954年、中国吉林省通化市生まれ。 75年、中国吉林省通化市衛生学校(医師学校)を卒業。
83年『天仙液』を開発。 88年、中国で、初めて「ガン治療薬」と認定される。
その後、より効果の高い『天仙液』を開発。 これら一連の研究が認められ中国十大傑出青年に選出、
イギリス ケンブリッジ国際伝記センターの国際知識人 人名記録簿に掲載、
1989年: ユーリカ世界発明博覧会にて、「世界個人研究最高発明賞」を受賞。
更に、ベルギー王国栄誉勲章、将軍勲章、騎士勲章を受章。

現在、「吉林省抗癌協会長白山薬物研究所所長」、「中国抗癌基金協会協調部副主任」、
「吉林省抗癌協会副会長」、「珠海振國医薬科学研究所所長」、「国際癌病康復協会会長」、
「广西中医学院客員教授」、「广州中医学大学客員教授」などの要職を務める。

中国各地の医療施設で、政府要人をはじめ、多くのガン患者の治療にあたる漢方による ガン治療の第一人者。
著書は、中国を始め日本やアメリカ、香港、台湾、フィリピン、マレーシアなどで多数上梓。また研究論文も多数発表。


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最後まで、読んでくれて本当に、有難う御座いました。
貴方や貴方の家族にとって良い事が有りますように祈っています。